「青野くんに触りたいから死にたい」って漫画を読んでて、中々興味深いなあと思った部分があるので、今回はその辺りを。
この漫画は、つきあい初めて2週間後に彼氏が交通事故で亡くなる。そんな幽霊彼氏と女子高生の胸キュンラブストーリー・・とはとても言い難いです(笑)
あらすじで知るよりもそこは是非読んでもらうとしまして・・
今回取り上げたいのはこういうシーンの解釈。
幽霊だったら憑依できるのかなと思いついて、彼女が「試してみる?」と聞くと幽霊彼氏は急に人が変わったように、
「ちゃんと言って」
「君の中に俺を招いて」
と迫ってくる。
これってもしかして、
「許可をはっきりと宣言させる」
「許可の宣言をルールにしている」
「宣言させることで、ある種の契約を結ぶ」
のじゃないか、と思ったシーンになります。
その後も、この「宣言させる」「言葉としてはっきり言う」のが重要なポイントとして出てきます。
言葉で宣言する=現実を引き寄せる
この「言葉で宣言することで許可される」ってのは、現実でもよくあると思うんです。
何を隠そう、ずーっとオンラインビジネスは副業でやっていた私が、いい加減ちゃんとしようと思って会社を退職しようと思った時、あえてダンナの両親やらがいる時に、
「今年こそ会社を辞める!」
と宣言しました。
すでに収入も会社の給料を超えていたので会社に行く意味はあまりなかったのですが、逆に言えば別に辞める理由もなく、どっちつかずでフラフラしていて、このままじゃ中途半端だよなあ、どうしようかなあとずーっと悩んでいたのです。
でも流石にそろそろキッパリ行動しないとなあと思って、その後押しをするためにみんなの前で宣言しました。
んで、その後どうなったかと言うと・・
何故か急に会社での居心地が悪くなり、仕事も何となく自分に合わないものが増え、結果上司とはモメて呼び出され、次年度から役職外す(=給料ガクンと下がる)と言われ(苦笑)
あー・・もういいわ。ここまでだな。辞めよ。
とスッキリサッパリ退職しました。
そこから気分爽快。
それまで副業でやってた収入も一桁増えたし、煩わしい人間関係もなくなり、自分らしい毎日が過ごせるようになりました。
ホント、あの時みんなの前で宣言してよかったって思います。宣言したからこそちゃんとしないとって決意できたし、それに連動して何故か会社も退職したくなるような流れにもなりました( ̄▽ ̄;)
その一件から、言葉にするのって大事だなって本気で思うようになったのです。
言霊:言葉の力
言葉で宣言することで自分の進みたい未来を引き寄せることもあれば、言葉にしてしまったがために・・ということもありますよね。
これに関して、実は私は幼少期に植え付けられたものもありまして・・
私には気軽に言えない言葉があります。
それは「死ぬ」と言う言葉。
相手に向かって超気軽に「いや、もう死んでwww」とか言っちゃう事って割と普通にいると思うんですが、これが私にとっては口にしてはいけない禁止ワードなのです。
そう、それは私がまだ小さい時。妹とケンカした時に
「死ねばいいのに!」
と言ってしまった時があるんです。
その時、おばあちゃんに
「”死ぬ”という言葉を気軽に使ってはいけない(`□´)ノ」
とめっちゃ怒られたあげく
「そう言ったことで、相手が本当に死んだらどうする。お前に責任が取れるのか」
と脅されたために、しばらく布団の中で
ホントになったらどうしよう(((( ;゚Д゚)))
とガクブルしまして・・
この時から「死ぬ」という単語は私の中で禁句に近い言葉になって、冗談でも相手に向かっては一才口にできなくなりました( ˊᵕˋ 😉
おばあちゃんに完全に制御されちゃったわけですが、まあ、これに関しては正しいことを教えてくれたと思ってます。
言葉にはやっぱり力があって、言葉として放つことで良くも悪くも引き寄せちゃうこともあると思うのです。
だけど、それに気づかず、結構気軽にキツイ言葉を日常の中で使ってしまうのはあまりよくないかもしれないだろうし、
ファンタジー的に言えば、私たちにあえて悪い言葉を使わせて、闇に沈めるてやろうと裏の世界から操作されているかもなのです笑
言葉には「言霊(ことだま)」が宿っていて、言葉に宿る霊力が現実に実現するとも言われています。
私は会社を辞める時に、言葉を積極的に使って言霊をはたらかせようとしたし、
逆に「死」を回避するために言葉の使用を避けてるとも言えるわけです。
言霊の例えば・・
言霊と言えば、神社でお祓いを受ける時に、神主さんが読み上げてくれる『祝詞』も言霊の力に基づくものですよね。
どんな神社でも、どんなお祓いの時も、(たぶん)最初は「天津祝詞(あまつのりと)」から始まります。
たかあまはらにかむづまります〜
かむろぎかむろみのみこともちて〜
ってやつです。
この天津祝詞の意味を超簡単に言えば、
今から罪、穢れ、厄災を祓い、清めくださいとお伝えすることを、天津神・国津神・八百万の神様も一緒にお聞きくださいませ!
という感じの祝詞です。
今からお願いをさせていただきたい時の、前振りみたいなもんですね。
語尾や微妙な言い回しの差はありますが、どの神社に行っても最初は天津祝詞を唱え、その次から、お祓いの種類によって個別の祝詞になっていきます。
そもそも日本って言霊文化だなあと思いません?
例えばおせち料理なんかモロに言葉遊びみたいなもんだし、今だってゲンを担いで勝負の時はカツ食べたり、緊張する時は手に人を書いて飲み込んだりするし、
漫画やアニメの世界でも、必殺技には名前がつくし、詠唱することで魔法が発動したり、記号と文字を組み合わせて結界を結んだりするわけです。
言霊の力を引き出すために
言葉は現実を引き寄せる1つのツールだと思うんですが、そのためには曖昧に宣言するのではなく、ハッキリと明確な言葉を使う必要があると思います。
怖い話ではお稲荷さんでは願い事を正確に伝えないと、誤ったルートで願いが叶うと言われてます。
例えば会社でうまく行っていない人間関係の悩みが解決するように祈ると、相手が会社から居なくなるor自分が居なくなることだったり、
そもそも狐といえば油揚げと言われるように、お稲荷さんは願いに代償を必要とするのでお礼を伝えないと祟りを受けると言われていたり・・
(なので稲荷神社には御礼として奉納された鳥居がたくさんあるらしいとか)
「青野くんに触りたいから死にたい」で憑依をする際に「試してみる?」ではダメで、「ちゃんと言って」と明言を求められ「私の中に入って」と言葉にしたために憑依されました。
(これがまた悪い方向になるわけですが・・そこは漫画でお楽しみください)
お稲荷さんほどではないかと思いますが、叶えたい望みがあるのであれば、より具体的にすることは大事。
子どもの夢みたいに「金持ちになりたいなあ〜」では叶うわけもなく、「何をどうすることでお金持ちになるのか」そのルートを自分の中でも明確にできて、初めて”引き寄せる”ことができます。
更に言えば「その夢が叶うことで、その後自分はこういうことをやっていく」と、その先のことまでイメージできているとなお良し。
神様がいるとしても、一人ひとりの理想や望み、個人のワガママ要望を聞くほど(多分)ヒマではありません。
「私の夢を叶えると、世の中的にもこんなにいい未来になるんだよ!」と、壮大すぎるほど思いを広げた方が「おぉ!?なんかコイツ応援した方が良さげ?」と思ってくれるはず。
そのためにも、理想を具体的に言語化して伝えることが大事なんですよね。